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Sushi Family in Nederland 001

こんにちは、東 ハナです。 私はオランダに来て3年目。(2017年現在) 2人の子どもと、寿司職人であり空手家である主人と、4人暮らしをしています。 ◇登場人物◇ 夫:イクラ父さん 寿司職人。若い頃NYに住んでいた。 妻:タマゴ母さん 海外経験は旅行のみ。初めての海外移住。 長女:エビナ 2017年現在3歳。大阪産まれ。 2歳で渡蘭。 次女:アガリン 2017年現在1歳。デンハーグ産まれ。まだ一度も日本へ行った事がない。 ◇わたしたちの住む街◇

私たちはデンハーグという街に住んでいます。デンハーグは、アムステルダム・スキポール空港から南へ電車でおよそ30分ほどの場所にある街で、アムステルダムとロッテルダムに次ぐオランダ第3の都市。国会議事堂や王室の宮殿、中央官庁、各国の大使館などがおかれており、東京で言うと大手町の様な、首都機能を担う政治の中心都市でもあります。

◇プロローグ◇

2015年7月7日七夕の日、私たち家族はオランダへやって来ました。それまで大阪でやっていた少し変わった寿司bar* を閉め、家を引き払い、当時1歳の長女を連れて。私は妊娠5ヶ月頃でした。結婚する以前から、イクラ父さんは「もう一度日本を出たい」と良く言っていました。そして私たちはその頃、子育てをする為に、大阪を離れてどこかへ引越す事を考えていました。そんな中、オランダで日本人が労働許可なく働く事が出来るという法改正ニュースを知り、(注:現在は法改正されました)「きっとすぐに法律は変わってしまうから、行くなら今だね」そう話し合った私たちは、移住へ舵を切ったのでした。 私は最初1ヶ月ほどアムステルダム、その後ロッテルダム、家族3人でAirbnbなどを点々としながら家や仕事を探した後、長女と一時帰国。イクラ父さんはオランダに残って仕事と家探しを続行しました。この物語は、家も仕事も見つける事が出来た後、家族3人でデンハーグで暮らし始めた、2015年秋頃の出来事です。

*DJブースのある寿司Barで、変わった作りのビル内の3階にありました。1階の元ショーモデルの方が経営するおばんざいbarを通り、2階のフランス人経営のbarを通らないと辿り着けないという、何とも隠れ過ぎた、知る人ぞ知る寿司barでした。3階はカウンター席、4階はフリースペースになっており、屋上もありました。フリースペースでは貸切り宴会やイベント、展示会、LIVEなどをしていました。

オランダでは家具や電化製品なども据え付けられていたり、不動産屋が用意することもあります。(全く家具なしの家ももちろんあります。)この冷蔵庫は引越した際に不動産屋が持って来てくれた物で、とても古くて扉の重たい旧式の冷蔵庫でした。

本当はもっとこんな冷蔵庫が良いと伝えられたら良かったんでしょうが、イクラ父さんは仕事で毎日遅いし、私は当時英語の聞き取りすら難しい状態だったため、流されるがまま。 背の低い冷蔵庫を大きなお腹を抱えながら、かがんで開け閉めしていてとても使いづらいと思っていた最中、こんなことになってしまいました。

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